ああ、なつかしの日暮里サニーホール
福もいる 鬼もいるのだ 心には へんちゃか ぺんちゃか
梅のつぼみがほころんだわいな。
ほんの少し開かれただけの花びらなのにのう、まっこと甘い香りが漂ってくるんじゃ。あんな小さな花一輪なのに、あたりの空気を甘くしてくれるぞな。たかが一輪、されど一輪なんじゃな。わしらも、ちっぽけな人間じゃが、どの人も、大切な大切な一輪の花なんじゃな。うちの柚坊も歌っておったわい。
…小さな声と小さな声を合わせよう、響け宇宙まで!負けないぞ〜!…
とな。わしも、皆の衆と共に歌ってみようかのう?仲間に入れてくれぞなもし。
ああ、うがいをしていたのに…。
ぅわお、手洗いだって、していたのに…。
ぎょうぇ〜、マスクマンに変身し続けたのに…。
悔しいよ〜、悔しいよ〜。なんだか、風邪ぎみで思うように声が出ず…。
あ、わかった!きっと、か弱いお坊ちゃまには、スケジュールが、あまりにも過酷だったんだ。うんうん、そうだよそうだよ。そうに違いないよ。体力もなくて、頭の中だけがかわいいお坊ちゃまには、無理だったんだねえ、きっと(はい、ご一緒に「やっぱねえ!」)。てなわけで、みなさまは大丈夫でしょうか?本当に気をつけてくださいね。寒い日と、暖かな日が急激に入れ変わると、体調を崩しやすいんですよ。え?そんなこと、あんたに言われずともわかってる?そ、そうですよねえ(はい、再度、ご一緒に「やっぱねえ!」)。
日暮里で、歌ってきましたよ。
4階にあるサニーホールは、思い起こせば1993年12月26日のこと。ミュージカル「少年少女冒険隊」を中心にしたコンサートが開かれた場所であったのです。前日が、広島でのミュージカル「少年少女冒険隊」(そうそう、この時も風邪でダウン。県民文化会館の隣の病院で、本番直前まで点滴を打っていたのでした)。翌朝いちばんの飛行機で東京に戻り、会場に入ったんでしたねえ。ああ、よみがえる青春の日々…(おいおい、何歳まで青春しとるんじゃ!)。
で、あの日のプログラムはっていうと、一部が、ミュージカル。
二部の曲目は、
1.
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Eye 愛 Beam |
2.
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天まで駆けるよ |
3.
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少年の日のように |
4.
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やさしい人と |
5.
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まほうのおまじない |
6.
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小麦色のページ |
7.
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レールの果ては見えないけど |
8.
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悲しみつもる その前に |
9.
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未来の地図 |
10.
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きみとぼくの間に
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アンコール |
11.
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夕焼けが始まれば |
12.
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Eye 愛 Beam |
なるへそねえ。2枚目のアルバム『天まで駆けるよ』が中心の曲目なんですねえ。お約束の「笑顔がかさなれば」は3枚目のアルバムだから存在しないわけだし、遊びが少ないよねえ(な、なんか妙に落ち着いて、客観的!)。それもそのはず、直前の12月13日から15日までが歌を録音するレコーディング。日記には書いてあります…はじめ声が出ず。しょうが湯を飲んで、しばし歓談。不思議、不思議、声が出るようになりました…って。記録を見ていると、本当に短期間にレコーディングしていたんだなあと、しみじみ思います(この頃のハーモニーは、ごくごく単純でしたねえ)。それが今じゃねえ…。二週間以上かかっているんだから、あな、おそろしや!
でね、あの時は、約370人定員の会場が、広〜い広〜い大海原(おおうなばらと読みます。だいかいげんではありません)のように感じたんです。
「大丈夫かな?たくさんの人の前で、それに、こんなに広大な会場で歌えるんだろうか?」と、怖くて震えていたことを思い出します。これ、本当の話。
カラオケを使って、踊りながら歌うなんて考えてもいなかったあの頃。ピアノから離れることができなかったあの頃。アイドルになれるなんて(なってないって!)思いもしなかったあの頃。ホント、人って変わるんですねえ(確かに、変わり者です、はい)。
そうそう、それで何を話したかったかと言いますと、久しぶりのサニーホールに入った瞬間、思わず、口走ってしまったが、
「せ、狭い!これが、あの日と同じ会場…?」
ほら、子どもの頃に見た建物なんかが、大きくなってから見ると、小さく感じるでしょ?まさに、それなんです(え?じゃあ、13年前は子どもだったってこと?ま、今だって、やることは子どもだよねえ。いやいや、子どもの方がしっかりしている)。
こんなお坊ちゃまでも、13年間、無駄には過ごしてこなかったんですね。たくさんの人との出会いで鍛えてもらったんですね。だからこそ、同じホールが小さく感じられたんでしょうね。嬉しくもあり、ありがたさも噛みしめた時間でした。
来てくださった方の優しさがあふれていた日暮里でした。会場がひとつになっていくのが手に取るようにわかったサニーホールでした。新曲「きみとぼくは友達」を初めて披露した(それも生演奏で!)のですが、好感を持ってくださったみなさまでした。出演する仲間たちと、お客様とで作り上げたコンサートでした。ユズリンよりも主人公になりきっていた、実行委員会の子ども達でした(本当に、明るい笑顔だよねえ)。豆まきをして、キャーキャー喜ぶみなさんを見ながら、「やっぱり、やっぱり、やっぱりアイドルはやめられな〜い!やっぱねえ!」と叫んだ…じゃなくって、福だけでなく、鬼も追い出すことなく、一緒に付き合いながら生きていきたいと考えた節分でもありました。そして、プログラムの、伴奏の玉木正昭氏と進藤克己氏の紹介文が入れ変わっていようとも(!)、ドキドキしながら、荒川区教育委員会の後援を取ってくれて、区内の全小学校にチラシをまいてくれた素敵な実行委員の仲間たちが輝いて見えた2月3日なのでした。ありがとう、ありがとう!
何よりも、会場を埋めてくださった、老若男女のみなさま、ありがとう!もう、これで心置きなく引退できます…(じゃないでしょ!まだまだ、歌いなさい!)。
うちの柚坊はのう、ここ何年も、神奈川県の「南足柄週間」というのがあるんじゃよ。南足柄市にある幼稚園が、家庭教育学級のひとつとして、コンサートを開いてくれるんじゃ。最初は、一つの園だけだったのに、知らないうちに、5〜6園に増えてしまったとか。きっかけは、ある園長先生からの電話でのう。うちの柚坊は、幼稚園では歌える自信がないから断るつもりだったんじゃよ。それが、
「私ね、あなたが創る歌の歌詞が、大好きなのよ。子ども達も、良い顔で歌うのよ…。」
その言葉にほだされて、通い始めたんじゃなあ。もう、7年になるのかのう?ほんに、人は人に活かされ、生かされるわけじゃ。これからも、そんな出会いを見過ごさないようにのう。感謝の気持ちを忘れるでないぞえ。
新しい 曲目紹介 いつになる へんちゃか ぺんちゃか
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