一人旅ってさびしいけれど、鍛えられますねえ。特に仕事の面ではね。もちろん、毎回音響さんやスタッフの皆さんに支えられての仕事ですが、最終的にコンサートを進めるのは僕。すべての責任は僕にあるわけです。だから、ピカリンやまっちゃん、伴奏の人がいない時なんかは、本当に汗びっしょり、ひやひやもんです。
さて、今回は以前から「で、結局ユズリンって何を研究しているわけ?」という非常にたくさんの方々からいただく疑問に、いよいよお答えしましょう(本当かいな?)。
広島でツアーがありました。途中の休みもなく毎日、毎日歌いました。でもそのおかげで一つの形が具現化できたんです(うわぉ、固い言葉!教員時代の研修を思い出してしまう)。
いつも一緒に動いてくれる広島の音響さん(自分をでぶりんと呼んでいる人ですが)が、最終日のお別れの時に言ってくれたんです。
「今日は、中山さんのコンサートの見本を見たようでした。」
もう、何回も同じようなステージを見ている人なのに、語りかけてくれたこの言葉。不覚にも(えっ、いつもだって?)涙がこみあげてきてしまいました。そう、僕はけっこうだらだら人間で、時間が決まっていると言うのに(例えば90分コンサート)平気で110分ほどやってしまうんです。いいわけないですよね?しかしですよ、この日はね、自分でも驚くほどのスピーディな展開!もちろん子ども達にも助けられての展開だったのですが、自分で分析をしたところ、無駄がなかったんです。お腹の周りのぜい肉がきれいさっぱりに削ぎ落とされたっていう感じ?(あ、実際にはいっぱい付いていますが…)余裕がないとか、遊びがないっていう意味じゃなくて、まさに中身で勝負ができた、迷いのないコンサートだったんです。だって、歌う曲数だって変化なしだし、語りだっておろぬいてはいません。きっと、回りくどい言い方じゃなくて、ずばっと的を射た表現ができたんだと思います。
いつもだと、気になる子がいると(時には、気になる先生も!)、その子がふり向いてくれるように力を使うんですね。聞いてほしいから(こういう所が元教員なんですよ)。それを繰り返していると、中心に行き着くまでに時間がかかるんです。そうしないとダメな場面もありますよね?ところが、今回はまず何よりも自分が集中していたんでしょうね。何をすべきか、何を届けたいのかがはっきりとしていたんでしょうね。これなんです。僕には時間がありません。その日の90分を逃したら、もう会えないかもしれない人たちばかりです。みんなの心や体がほぐれていくようにしながらも、その瞬間がきたら迷わずにずばっと直球勝負!今まで、この押しが欠けていたんでしょうね。
しかしですね、さっきも言いましたが、聞いてくれて一緒にコンサートを作ってくれる子ども達や先生方あってこそ、そんな時間を作れるんです。自分ひとりでは不可能ですからね。
僕のコンサートは、ピカリンの遊びとまったく同じ。みんながいてこそできるんです。僕の歌を聞いてください…じゃないんです。一緒に歌い合って、友達や自分の事、平和の事などいっぱい、いっぱい感じ合っていきたいんです。「やっぱり、ぼくらは一人じゃないね」って。
ここに、つながりあそび・うた研究所の意味があるんですね。
一学期だというのに、一年生の集中力には驚かされました。校長先生はすぐに僕をほめてくださいます。でも、違うんですね。もともと子ども達の持っている力なんですね。それをどうやったら引き出せるか…。僕は歌と言う方法で、これからも研究していきます(おおっ、初めて明かされる研究部長の仕事!)。
サマカレでのこちらからの問いかけに、実践してくれる先生がいて、僕は秋に、冬に翌春にその花を見に行くんですね。さあ、楽しみな夏がやってきましたよ。汗かいて踊りましょうね、歌いましょうね。よろしくね。
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