みなさん、本当に10周年を各地で祝ってくださり、ありがとうございました。まさか、こんなふうにお祝いしてくれるなんて思ってもいなかったので、感激でいっぱいです。
しょっぱなは2002年3月30日でした。これは、うちの所長ピカリンが主催してくれた東久留米でのコンサート。「好きなユズリンの歌」アンケートで「スタートライン」がありました。その理由を聞いたところ、小学校3年生の女の子が話してくれたんです…。「この歌を聞いた時に、わたしの前にもスタートラインがあるんだって、わかったんです…。」会場中が静まり返って、思わず涙ぐんでしまいました。
1曲の歌が持っている意味。それを教えてくれた彼女は、もう5年生になるんですね。元気でしょうか?
5月17日は亀戸で。ギター玉木孝治さん、ベース進藤克巳さん、ドラムス玉木正昭さんという豪華なメンバー。途中、飛び入りでピアノの金井さんまでもが友情出演! みんなレコーディングメンバーだけに、息もばっちりでしたねえ。まるでお笑いショーのようなステージでしたっけ。
5月26日には、京都のたんぽぽサークルも「明日を夢見て」コンサートを作ってくれました。いつも応援してくれる、あたたかい仲間たちです。
6月に入って広島でのコンサート。タイトルがすごい!「中山讓 やりたいホーダイコンサート」。なんだか、めちゃくちゃばっかりやっているユズリンって感じでしょ? 確かにそうでした、はい。一人の演奏でしたが、ゆかりのある方が出てくださったり、広島の仲間達が支えてくださったりのステージでした。
最後に広島の“じいや”が花束をくれた時には、思わず涙が出てしまいました。
サマカレで全国を歩いた後、秋風が心地よくなった頃に名古屋にうかがいました。
9月29日でしたね。想像以上のお客様の数にびっくり!ピカリンとのジョイントで、あっという間に終わってしまったのでした。
そして迎えたのが10月19日。静岡市での金井信さんとのコンサートです。ピアノ2台という、他ではめったに味わえない内容で、思う存分遊ばせてもらいました。
圧巻だったのは「給食もりもり おかわリンジャー」が「黄昏ぐびぐび 酔いどレンジャー」に変わってしまうという構成!会場が笑いまくったのでした。
学校コンサートでずいぶんとうかがっていたり、SBSテレビ放映のおかげでしょうか、チケットはあっという間に売り切れ。なんと、その日のうちに追加公演をする事が決定したのでした(5月にね)。しか〜し、これまたすでにチケットが手に入らないとか。この僕でさえ、まわしてもらえないんです!
さらにうれしかったのは、高校時代の友達との再会です。なつかしい友の顔に、高校生にもどってゆくユズリンなのでした。
木枯らしが吹き始めた12月。大阪の仲間たちが祝ってくれました。僕ひとりのピアノですが、そこは実行委員のみなさんがダンス等で盛り上げてくれます。それに、なんといっても、来てくださったみなさんがみごとに一緒に歌ってくれて、大きなハーモニーを響かせてくれるんです。
バースディケーキまでも用意してくれたんですが、それを運んできてのがなんと、まっちゃんではありませんか! ずっと、誰にも気づかれないように、隠れていたんだって。あの体の大きなまっちゃん。いったい、どこに潜んでいたんでしょうね。
研究所の原点を見つめていた時だったので、思わず涙があふれてしまった「人 愛しくて」でした。
新しい年を迎えて、2月22日、故郷の三島で歌えました。バンド以外に初めてコーラスグループが結成されました。名前は「かぼす」! 練習したかいがあり、きれいに僕の歌を広げてくれましたよ。さすが故郷、千人を越える方が祝ってくれました。なつかしい顔ぶれで、ちょっと照れてしまいましたねえ。教員時代にお世話になった先輩の先生も、教え子も、小学校時代の友達も、みんなみんな、この日ばかりは無条件に祝ってくれました。
そして、つい先日の3月30日。
この10周年の締めくくりで、京都で金井信さんとのコンサートがありました。会場の府立芸術会館は全席指定で満席。ありがたい時間でした。
金井さんとのおしゃべりに笑い、ユズリンの南沙織に笑い、そして2台のピアノ(ま、主に弾いているのは金井さんですが)に酔い…。古都の夜はふけてゆくのでした。
実はこの日、僕はある決意をしていました。
それは、マイクを使わずに歌おうという事です。3月に入って、戦争が始まってしまいそうな状態でした。そんな時ひとつの歌、「生命歌いましょう」が生まれました。今まで、歌えるのは平和だからと思い、やわらかい言葉で平和へのありがたさや大事さを歌ってきました。でも、どうしても、直接的な表現をしなければならなくなったんです。
このまま、世界中が再び暗黒の時代になってしまうのか・・・。我慢できませんでした。いろいろな考え方の違いはあっても、ただひとつ、平和への思いでは一致したいんです。
テレビからは、まるで映画のように悲しいニュースが平然と流されます。こうやって、たくさんの人が作られたニュースに乗せられてしまうんだなあ・・・。
以前天皇が亡くなったとき、うちの祖父が言ったんです。昔はね、テレビなんかなかったから、こんなにおおげさじゃなかったんだよって。
そうか、と思いました。
広範囲に宣伝できる文明の利器によって、作られていくんだって。誰かに都合のいいように、僕たちは洗脳されてしまうんだって。
テレビやラジオをすべて否定しているんじゃありません。つまりは、使い方なんですよね。ダイナマイトだって、発明した人は工事が楽になるようにって作ったのにね。いつの間にか、戦争の道具になってしまったしね。使い方なんです。
だから、電気を使い、たくさんの人に広げる事ができるマイクを使わずに歌おうと。僕の声なんか、会場中の方に届くわけありません。でも、生の声を聞いてほしかったんです。一人のちっぽけな人間、生き物が歌う祈りを。
幸い、みなさんが息をすることさえ忘れたように、はりつめた空気を生み出してくれたし、金井さんのピアノも最低限必要な音だけで僕を包んでくれて、歌いとおすことができました。
様々な形の10周年コンサートを通じて、やっぱり歌うことの大切さを感じる事ができました。大きな力になれなくても、せめて隣の人の心をやわらげる歌であればいいなって。
「うちの小学生のむすめ、何か友達とうまくいかないみたいで、悩んでいました。
そんな時、ゆずりんが友達っていいなを歌い出したら、表情がぱっと変わったんです。家に帰ってからもCDをずっと一人で聞いていました。すると、ぽつりと言ったんです・・・わたしには、○○ちゃんがいるから、だいじょうぶな気がする・・・って。むすめや私が困った時に、いつも考えさえてくれたユズリンの歌でした。ありがとう。」
ありがとう。こんな僕の歌を認めてくれてありがとう。だから、やっぱり歌います。これからも、新しい10年に向かって、歌いつづけます。
みなさん、本当にありがとうございました。そして、これからも、一緒に歌っていきましょうね。
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